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タイのカルチャー

タイのカルチャー

音楽と舞踊

 タイのクラシック音楽(dontri Thai doem)は、元々は法廷で演奏されており、クメールのモデルに基づいていました。3種類のオーケストラグループがあり、1つ目はpiといって、パーカッション中心のアンサンブルで、裁判所の儀式や劇場で演奏されるものです。2つ目はkruang saiといって、弦楽器が中心のアンサンブルで、通常は室内で行なわれます。 そして3つ目はmahoriといって、演劇の文脈でボーカリストを伴う場合が多い混合アンサンブルです。タイの古典音楽は、khonなどの古典舞踊の伴奏としてもよく使われます。クラシックオーケストラの演奏は、基本的に7段階のトーンスケールを使いますが、ピッチが安定していないボーカリストや楽器では、追加のトーンも使われます。

 タイのクラシック音楽と舞踊は、国家遺産のとても重要なシンボルですが、1930年代から60年代には消滅しており、70年代になって復活したのです。タイ音楽は大学の学科にもあり、演奏者やダンサーを育てる専門高校も数校設立されました。現在は公教育システムによって支えられているため、全国の会場やテレビで頻繁に観ることができます。

 しかしクラシック音楽よりもはるかに人気があるのは、タイ中央部の田舎で生まれたカントリーミュージックの一種、Plaeng luk thung(野原の子供たちの歌)です。 西洋ポップ、ロック、ラップ音楽の修正版も人気があります。バンコクや他の都市部のほとんどの労働者階級は、北東部の田舎から来ていたため、モーラムと西洋ポップを融合した伝統的な音楽を好みます。この音楽には、タイ東北部(およびラオス)の伝統的な楽器、木と竹と口で奏でるカーンが使われます。

 Lamwong(サークルダンス)は、田舎の寺院のお祭りやお祝いの場で最もよく踊られるダンスです。普通はモーラムやluk thungの音楽で踊ります。しかしながら 都市の特にナイトクラブでは、西洋スタイルのダンスが主流になっています。

美術

 仏教はタイ芸術、建築、彫刻、絵画に大きな影響を与えました。最も美しい古いワット構造は、14世紀から18世紀頃の首都アユタヤとチェンマイに幾つかあります。ワット構造の枠組みは木を使っていますが、壁はレンガと石膏で造られています。装飾部分は、ガラスモザイク、金箔、磁器、漆喰、ラッカー、象眼細工の真珠質で飾られているものが多いです。昔の宮殿や寺院は、多くの古い地方の中心部でまだ見ることができます。チェンマイには、数多くの寺院が、古代の城壁の内側と外側に点在しています。新しくできた儀式用のホールでも、通常は湾曲したフィニアル、高い屋根、複雑な彫刻のドアや窓、ナーガや巨大なヘビを飾った階段など、伝統的なデザインを取り入れています。全てのワットには、青銅、木、漆器、漆喰で作られた、何十もの仏像があります。仏像画は大量に作成され続け、主に宗教目的ですが、一部は観光客へ本物の骨董品であると主張し販売されています。骨董品であれ写しであれ、仏像は神聖と見なされます。一応、美術局からの通達がなければ、それらは排除されるべきではありません。多くの仏像画は金箔で、 仏像と寺院の金箔は宗教的なメリットをもたらすと考えられています。

 伝統的なタイの絵画は、おそらくインドとスリランカの宗教的なものに由来しています。寺院の壁画は、匿名の僧侶や献身的な素人が描いたものです。その中には、仏陀の生活や仏教徒の物語を描いた壁画もあります。

 タイの現代美術は、伝統的な仏教美術と西洋美術によって形成されていると言えます。イタリア美術が、19世紀後半から20世紀初頭のタイの現代美術と建築の発展に大きく影響しました。バンコクの公共文化は20世紀初頭、公式の建物や国定史跡の建設で雇われた、イタリアの建築家や彫刻家によって変容しました。国会議事堂の前にあるチュラロンコン王の騎馬像は、明らかに西洋的です。像の王は、20世紀初頭に上流階級の男性服のモデルとなった西洋軍服を着ています。そういった特徴にもかかわらず、この像は1980年代からカルト運動の焦点となっています。最も尊ばれるタイの現代美術は、西洋スタイルとタイの伝統的デザインが、創造的に統合されていると言えるでしょう。

工芸

 タイ工芸の伝統は、王室や広がる中流階級で関心が持たれているだけでなく、観光によって成長した市場でも注目されています。タイのシルクは世界的に有名で、絞り染め技法の色とデザインの幅は、国内外で高く評価されています。手織りの綿と刺繍布地は、その多くが高地の少数民族によって生産されますが、商業として十分成り立つ結果が出ています。

 初期のタイの磁器と陶器は、元々実用的な目的で作られていましたが、芸術作品と見なされるようになりました。15世紀から16世紀には、陶器はシャムから東南アジア全体に輸出されていました。初期の作品は、現代の特にヒスイ色のタイ青磁器に影響を与えています。タイは漆器と木彫りも有名ですが、木彫りは1989年にチークの伐採が禁止されて以来、減少ぎみです。タイの銀細工もまた有名な工芸品で、国内やミャンマーやカンボジアで採掘されたルビーやサファイアを使用したジュエリーが有名です。バンコクはその中心地となっています。

文化機関

 チュラロンコン王の治世中に設立された美術局、王立研究所アカデミー、教育省の国立文化委員会事務局、シャム協会、国立博物館(全国に数百の支部あり)、シルパコーン大学、 国立劇場などは、正式に国家遺産としての権限が与えられています。バンコクにあるシルパコーン大学は、ドラマや音楽を含む全てのタイ美術を教え、教員達は伝統的なタイ建築を保存するために、政府および宗教施設の建築設計にも携わっています。王室、特にシリントーン王女は、国家遺産の後援者となっています。

スポーツとレクリエーション

 タイの伝統的な武術であるボクシング(ムエタイ)は、国民的スポーツです。これは伝統的な音楽アンサンブルによる非武装戦闘の壮観な武術であり、又、リングサイドの熱狂的な賭けでもあります。身体の頭部以外であれば、どの部分も公平な標的となり得ます。試合の前には、ボクサーはラムムエイという5分間のダンスを行いますが、これは教師とムエタイの守護神に敬意を表すためのものです。ムエタイはクイーンズベリー侯爵により、近代的なルールの下で、1930年代に復活しました。又、キックボクシングとして西側にも広がっています。1999年に国際ボクシングに殿堂入りしたカオサイ・ギャラクシーさんを含め、複数のボクサーが世界ボクシングチャンピオンとなっています。

 タクラウは、とうを編んでできたボールを、手を使わずに地面に触れないようにするという伝統的なゲームで、若い男性の間でとても人気があります。これは東南アジアでは競争の激しいスポーツです。20世紀のタイでは、西洋のスポーツも幾つか採用され、サッカーは非常に人気の高い観客スポーツです。テニス、水泳、バドミントンも国中で行なわれています。タイのアスリートは東南アジア競技大会において、これらのスポーツで多くの成功を収めています。

 タイは、夏季オリンピックには1952年に、そして冬季オリンピックには2002年に、初出場しました。タイはボクシングイベントで最高の成功を収め、1996年にはフェザー級ボクサーのソムラック・カムシングさんが、国内初のオリンピック金メダリストとなったのです。タイでは、アジア大会を数回開催しています。

 寺院祭は、農村地域で生活するタイ人にとって、最も楽しみにしているものです。都市に住む中流階級の人々の所得は、平均よりはるかに多く、彼らはよく国内の寺院祭めぐりをします。又、他にも楽しみを求めてジムやスパに通ったり、テニスやゴルフなどをしたりします。実際、1980年代から90年代には、タイで多くのゴルフコースが建設されたものの、ゴルフ場への灌漑水の配分が近隣の農業地域にマイナスの影響を与えたため、環境保護論者が懸念を提起していました。都市部では、キャバレーやパフォーマンスを行うナイトクラブ、世界の有名なミュージシャンの正式なコンサートに至るまで、多くの娯楽を提供するようになりました。サヌクは人生の楽しみとして、村でも都市でも、タイ生活の基本となっています。